我が家には、旧暦に合わせて行う幾つかの風習があります。無病息災や五穀豊穣を願うものだったり、収穫を祝うものだったり厄除けだったり、季節の節目で行うものが多いのですが、そのうちの多くは家内の決まった場所(神様仏様、恵方棚など7ヶ所)を祀り、決まった料理や供物を供えるというものです。
それに加えて年末年始は1年の無事を感謝し、新年を祝うものとして、屋外5ヶ所も祀り、お供えをします。
今年も例年と同じく、年末に家内7ヶ所外5ヶ所に門松を飾り、
餅つきをし、家内7ヶ所と車用の鏡餅を作り、
決まった年越し料理を作り、お神酒とともにお供えして年を越しました。
元旦の朝はお雑煮を作り、家内7ヶ所と外5ヶ所にお供えをし、それをさげて、お節料理と一緒に朝食、2日は新年の炊き初めで、白米ごはんを同じく12か所にお供えしてからの朝食です。(外の松には竹筒の器を取り付け、その中へお供え)
家内7ヶ所のお供え場所は、神様仏様で3ヶ所、恵比須様1ヶ所、恵方棚1ヶ所、火の元2ヶ所(元かまどのあった所と現在のIHコンロ)で、外の5ヶ所は、庭先、地の神様、土蔵と物置小屋の前、井戸のある場所です。
毎年このお供えを繰り返すたびに、(我が家のあちこちに神様がいて見守ってもらってるんだ~)とのほほんと思ってきましたが、長引くコロナ禍と昨年春に起きたお風呂故障期間(大じいさんの遺したたくさんの炭と3つの火鉢、年配者の知恵で湯を沸かし続けた40日)で、当たり前の日常が当たり前でないことを痛感したため、お供え事の見方が変わりました。
火を起こし、きれいな水や日々の食材を得ることが、昔の暮らしの中でいかに大変でありがたいことだったか。緑の山や田畑に囲まれて、豊かな自然の恵みを受けて健康に暮らしていけることへの感謝の気持ちが、それぞれのお供えになっているように思います。(できる限り山の木々を使い、自家製の食材で料理)
豊かな自然の中で生かされていること、豊かな自然を作る一員であることを強く感じるのは、今も昔も変わらない気がします。
神様対人間、自然対人間でなく、豊かな自然は豊かな生命の集合体であり、人間もその1部だということを忘れないための風習なのかもしれないです。
民俗的におもしろく、一連の風習をこなすことが我が家のお正月なので、しばらくは続いていくことでしょう。
目まぐるしく変わる世の中で、何を望むのか。変わらないものの中にあるものは何?見えないものだけど、伝えていきたいもの。